2024.09.03
「人間は少しずつ老いていくのではなく、44歳と60歳の2回、急激に老化が進む時期がある事が判明した。」なんていうスタンフォード大の研究結果が発表されたそうです。
ということは、現在51歳の私は「老化の第1波」をやり過ごしたことになる。言われてみれば、
「ああ〜、ぐっすり寝た。爽やかな目覚めだ。」
なんてことはここ数年皆無であり、寝つきも悪く、起きたら起きたで眠いまま。寝起きでは何故か腕が痺れていて、それをバシバシ壁に当てて痺れを取ることから私の朝は始まる。目もかすみ、寝起き3分位は視界がボンヤリしている。
51歳でこの状態ということは、果たして第2波の60歳を迎えた時はどうなるのだろうか。。なんて思うのだが、身近なところにとんでもない89歳がいました。父上、淳である。
大学病院を65歳まで勤め上げ、その後は企業の産業医として75歳まで勤務。それ以降、現在は週3位で別の病院でバイトをしている。毎日ジムでも相当歩くらしい。バケモノだ。。
母が亡くなってからの一人暮らしが心配でたまに様子を見にいくのだが、焼肉屋などに行っても私や孫などよりも脂身を大量摂取。ウイスキーも毎日飲んでいる。十分長生きしていて素晴らしいのだが、離れて暮らしている分心配している。
そんな中、先週、滅多に連絡を取ることがない兄貴から直電が。。イヤな予感は的中。
「淳が救急車で運ばれた!俺は今から〇〇大学病院に行く。」
え、、、そんな、、逝ってしまうのか。。台風で新幹線が微妙な状況になり、私は自宅で兄からの連絡を待つ。飯を作りにくるお手伝いのおばさんが倒れている父に気付いたらしく、どうにか連絡を取って状況を聞きたいのだが、そういう連絡先は全く聞いていなかった。。
あ、そうか、病院に電話すればいいんだ!
救急とか何科とか全然分からないので、とりあえず代表の番号に電話。
「救急で搬送された田中淳という者がいると思うんですが、、どんな状況でしょうか?!」(私)
「何時ごろに搬送されました?」
「、、、いや、ちょっと分からないです。。」(私)
「救急の方にお繋ぎしますね。」
、、、、、、、、、、、、、、、、
「はい、お電話変わりました。救急の〇〇です。」
「あの、先ほど搬送された田中淳という者はどんな状況なのでしょうか?!!」(私)
「えー、、今、現在、救急で診察中です。」
「、、、ということは、生きて、っていうか命に別状はないんですか?!!」(私)
「はい、大丈夫です!意識もしっかりされて会話も出来ます。」
、、、、、、、、良かった。しばらくして兄も病院に到着。
「全然、生きてる!大丈夫だわ。」(兄)
その日は検査も兼ねて入院し、翌日退院。兄は仕事もあり東京に戻り、私が交代で向かう。久々に会った父は、、
生きてました!!いやぁ〜良かった。。
何やら文献みたいなのを読んでいて、
「突然、体が動かなくなって倒れたんだけど、コロナと関連するギラン・バレー症候群があるみたいだな。日本でも少しずつ文献が出てるんだよ。ほら!」
なんて見せられて、自分の症状を自己分析していました。どうやら病院の検査でコロナウイルスも検出されたらしい。相変わらず研究熱心。コレはボケることは絶対ないと確信しました。死ぬパターンはPPK(ピンピンコロリ)しか無いでしょう!
私が東京から作っていった味の南蛮漬け、きんぴらごぼう、豚汁をツマミに、退院したばかりでもうウイスキー飲んでいました。こんなこともあったしいつ死ぬかも分からないので、この際だから色々聞きました。
1.このままここで死ぬまで一人で暮らすのか(→暮らす。死ぬまで働いて社会とのつながりを持つ)
2.葬式はどうするのか(→母の葬式で大変さが分かったから、こじんまりでいい。遺骨は母と一緒にしてくれと)
などなど、、厳格な父上で子供の頃からまともに話したことが無かったので(仲が悪いわけでは無い)こうして2人きりで飲みながら長時間話したのは51年で初めてかも(いつも横には母とかヨメが居たので)。なんか凄く良い時間だった。。
話をしていて謎が残ったのですが、倒れた時、お手伝いさんはどうやって家に入ったのか。。セキュリティーがしっかりしたマンションなので部屋に入るのはほぼ不可能。運ばれた瞬間は父も意識が無く分からないと。管理事務所に鍵があるのかと思ったので聞いてみたら「鍵の預かりはしていない」との事。謎は深まるばかり、、、
コレは「お手伝いさんに直接電話だ」と聞いてみると、、
玄関前まできたお手伝いさんは、中からうめき声が聞こえて「こりゃ大変だ!」となり、救急に連絡、それに合わせておまわりさんも登場。
「鍵が開かない、、どうする、、、、、?」
となったところで、お手伝いさんが、
「そういえば、キッチンのコンロわきのベランダに繋がる窓が開いていることが多い」
なんて事を思い出してくれて、そこからお巡りさんが高層マンションにも関わらずベランダを伝って部屋に侵入、倒れている父を発見してくれたそうです。
お手伝いさんが思い出さなかったら死んでたかもしれません。おまわりさんも命の恩人です!本当にありがとうございます!!!
こんなこともあったので私がいる間に、「見守りSECOM」の契約もして、合鍵も作ってお手伝いさんにも持ってもらうことにしました。
私くらいの歳だと、いよいよ親がヤバい世代に入ってきます。コレを読んでる皆さんの中にもそういう方々も多いと思います。「もしものヤバい時の本人と身近な人との連絡先」を押さえておくことは勿論、「死んだらどうするのか、どうして欲しいか」ということは、本人存命中は聞きづらいかもしれませんが、絶対聞いておいた方がいいですね!
父上が搬送された時、マンションの同じフロアーの人たちとか色んな人が見ていたらしく、その人たちには完全に「もう死んだ」と思われているらしく、
「あれ!!生きていたんですか!!!」
と、ここ数日会う近所の人たちに言われるそうです。そんな話を電話でニヒニヒ笑いながら話す父。兄貴と俺の心の準備は出来ている。残りの人生を精一杯、楽しんで働いて、酒飲んでPPKで逝ってくれ!!
そんな超高齢化問題を向き合った本日のおじさんのボヤキでした。ではまた!!!