2023.02.28
ここ最近、「親の介護プレー&面会」で毎週、静岡に行っております。
「親の介護で退職」とか「親の介護で離婚」とか「親の介護で兄弟喧嘩」とかよくテレビで見てましたけど、まさか自分の身に降りかかるとは思いませんでした。
実際、ホント大変ですね。親なんていつまでも元気だと思ってましたから。
「ボケたら海に沈めてちょうだい!」
なんて母親は以前、冗談でよく言っていましたが、そうはいきません。
アレだけ愛情深く我々兄弟を育ててくれましたから。
幸いうちは兄弟で分担したり、親戚のおばちゃんが手伝いに来てくれたり、色々な人の助けを借りて何とか乗り切っています。
母親(輝子)が正月に倒れて、最初の病院に入院した時はもう絶望的で、コレじゃダメだと父の判断で今の大学病院に転院。
脳みそのMRIも真っ白(病変のあるところが霧みたいにモヤモヤなるらしい)で、かなり厳しい状況だったのですが、何とか2週間ほどで意識も戻り、最近じゃ喋るようになりました。
地獄の2丁目からの生還です!
先日面会に行った時も、
「俺のこと分かる??」
という父の問いかけに、
「散々苦しめられたから忘れるわけないでしょ、、?!」
と、輝子ギャグも飛び出すようになり、その回復ぶりにびっくりしています。
スマホを触ったり、音楽を聴いたりするのも脳みそに良い刺激になると先生に言われたので、スタッフが送ってくれた我々のミュージックビデオの動画を見せると、
「あら、これは、、りょーさんたちの歌かしら。。」
なんて反応してくれたもんだから、「コレは良いかも。」と思って電気屋でポータブルDVDプレーヤー買って、我々のライブのDVDも何本か病院に置いてきました。
とにかく、暫く死ぬことはなさそうです。皆さん、ありがとうございました!
冒頭に「介護プレー」と言ったのは実は母親ではなく父上(88歳)のことです。
母親は病院にいる限り看護師さんもいるし心配なし。父上は肉体的にはすこぶる元気。
ジジイなのにいまだに月に4、5回、産業医の検診のバイトをするほどです。
母親の面会の日の前日までには文献を調べ、担当の先生への質問事項をまとめるくらいです。
ですが、残念なことに身の回りのことが何も出来ません。
年明け、88歳にして初めてATMで金を下ろしたという驚愕の事実に我々夫婦は震えました。
家のことは全部、母、輝子がやってきたんです。
「亭主元気で留守がいい世代」の男たちは、ひたすら猛烈に外で働き、家事も子育ても全て妻任せ。
家で何もしてこなかった「昭和のラストサムライ」。
そのツケがいま回ってきました。
ちょっと期間を空けて実家に戻ると、カップラーメンの残骸がゴミ箱にあったりします。
今まで良いもん食ってきただろうに、、88歳でこれかよ。。。何だか切なくなります。。
「肉を焼くときは油引くの?」(父)
「、、、え、そこからですか。。。」(私)
「米炊くのは、線まで水入れるんだよね?」(父)
「、、、、、マジかよ。」(ヨメ)
最近はヨメが付き添いで来てくれた時は、「肉じゃが」「鯖の味噌煮」「大根の煮付け」とか、ある程度日持ちする食材をババっと作って、タッパーに日付を貼って冷蔵庫満載にして帰ってきます。
父上がチンすれば食える状態にしてくれてるんです。ホントに助かってます。
私も結婚24年。
振り返れば、ヨメを〇そうと思い「〇し屋」を雇おうとした事も何度かありましたが、今ではホントに感謝しかありません。
私の中でヨメの評価が爆上がりしてます。結局、夫婦とはそういうものなのかもしれません。
「好きだ」、「愛してる」、一瞬の気の迷いで結婚しても、所詮違った環境で育った他人同士が上手くいく訳がありません。
その中で、「我慢」、「助け合い」、「我慢」、「助け合い」、その繰り返しを通して、揺るぎない信頼関係が築かれるのでしょう。
なんちゃって。
アレから2週間、父上はどうやら米が炊けるようになったようです。
肉もステーキは難しいですが、ペラペラの肉なら炒めて食えているようです。
コレで餓死することはないでしょう。
「外食すりゃ良いじゃん」って思うんですけど、父上は全く外食しないんですよ。
それだけ輝子がしっかりやってくれてたって事なのかな。。
あとなんだろうなぁ。仕事ばかりしてきて、普段飲んだりする友達が居ないみたいなんです。
年齢的に同級生が死んでるってのは勿論あるんですけど、住んでる周りにもう少しそういう友達がいれば良かったのに、、なんて思うんですよね。
とにかく私が言いたいことは、老後に備え「男も自炊くらい出来るようにしましょう」という事と「仕事と全く関係ない飲み友達を地元に持ちましょう」ということです。
現場からは以上。
ではまた来週!!!