涙でリールが見えない RYO from ケツメイシ

2022.04.26

 もう4月も終わり、そろそろ五月病の季節ですね。

田舎から出て来て1人暮らしを始めた社会人の皆さん、学生さん、

新たな目標に向かって4月から新生活を始められた皆さん、元気にやっていますでしょうか。



1ヶ月が過ぎ「コレはちょっと違ったかも。。」とか「もう辞めたい。。でもなぁ。」とか色々な感情に葛藤している事でしょう。

ポイントはあまり気にしない事ですね。

大体、世の中の人間は自分が思うほど自分のことを気にしてませんし、自分が居なくても地球は回ります。

「気にしない気にしない。一休み一休み。」の「一休さんスタイル」で気楽に生きましょうね!



一昨日、大学の一回り下の後輩と飲んだのですが、

今、彼は大都会東京の下品な街、蒲田で調剤薬局を経営して立派に生きています。

そんな彼も大学入学時、和歌山のド田舎から出て来て、初めて先輩と渋谷に降り立った際には、

「今日は何かのお祭りがあるんですかねぇ?」と、あまりの人の多さに天然のボケをかましたそうです。

朝、登校しようとアパートの駐輪場に降りてみると、

「仁王立ちした男のチ〇チ〇を女の人がしゃぶっていて、その横では赤ちゃんが号泣している」という地獄絵図を目撃し、

「やっぱり、東京って怖い、、、、、、」と震え上がったそうです。

「え、大学の時どこに住んでたの?」(私)

なんて聞くと「豊田です。」なんて言うんです。

「あ、それは八王子。もはや東京ではないから(笑)。」(私)

そう、我々の母校は八王子の山奥にある薬科大学。

彼も1ヶ月後には、「東京に出て来たはずなのにおかしいな?」と、気付いたそうです。

八王子駅前は大都会ですが、当時、我々の学校の近くにはパチンコ屋と深い森しかありませんでした。

逆に私の場合、ホントの大都会のコンクリートジャングルで育ちましたから、山手線、中央線を乗り継ぎ豊田駅に到着、

そこから学バスでふた山超え30分。

玄関を出てから大学に着くまで2時間半。毎日が遠足でした。

生まれて初めて生きてるタヌキを見たのも大学の近く。

悲劇だったのはそれ程賢い学校でもないに関わらず、マジメ君しか居ません。

「マジでつまんね、、、、」

ウソだろ。。大学って毎日飲み会して遊びまくって乱〇パーティーするところじゃなかったのかよ!

おまけに薬学部は出席とか進級に厳しく、3科目落とすと留年します。

全然、想像と違った。。。

なんて20数年前の私は思ったものです。



そんなある日、学校の中庭のベンチで1人寂しく飯を食っていると、

ムキムキの人が「シャー」ってスケボーで横切って行きました。

「お、ウチの学校にこんな人いるのか?」

なんて、恐る恐る話しかけてみると、私が1年の時の3年生。先輩のテラジンさんと言う人でした。

それから会えば話すようになり、やがて彼がレゲエのマイク持ちで小さなクラブで歌っていることが分かりました。

「りょうも遊びにおいでよ。」

なんて言ってくれて、私も一緒に(当時はラップというより、節回しで歌うレゲエっぽいヤツ)やるようになりました。

当時の「浪花男」という方の節回しを完パクし、自作の歌詞を当てはめたりしてました。

米軍が週末に遊びに来る「レクレーションセンター」に連れて行ってくれたのも彼で、そこで初めてDJもやらせてもらいました。

初めてマイクを持った時は震えたなぁ。。楽しかった。学校以外で楽しみを見つけた瞬間でした。



そこからこの面白さを伝えるべく、同学年の2人だけ居た仲良しを誘い、ラップグループを作りました。

それが初代ケツメイシ。

そして翌年には現ケツメイシリーダーの大蔵氏も入学して一緒にやるようになります。

思い出す青春時代。

大学に入学した時は絶望したんですけど、よーく周りを眺めてみると、1人か2人はウマが会う人が必ずいるはず。

あの人たちが居なかったら、私は今、歌手として食っていることもなかったでしょう。

人生って本当に分からないもんです。

だから今、五月病になりかけたり、あるいは新生活に「つまんねー」と絶望している君!

絶対、同じように考えているヤツも周りにいるし、

いずれ運命に導かれているかのように繋がっていく仲間が出来るはず(今すぐではないかもしれないけど)。

だから、そんなに絶望しないで気楽に行きましょうね!!

おじさんからのアドバイスだよ。

じゃあまた来週!と見せかけて来週火曜日は休日だから休ませてもらうよ。

バイバイ!!

今日もリハ。ハァ〜行きたくね。5月病かしらね。。