涙でリールが見えない RYO from ケツメイシ

2018.07.31

 私、先日結婚20周年を迎えました。「銀婚式」が25年、「金婚式」が50年っていうのは知ってるんですが、20年は「磁器婚式」っていうらしいです。1年目は「紙婚式」、10年目は「アルミ婚式」なんてのはもはや誰も知りませんし、おそらく結婚情報誌とか宝石業界とかが金儲けのために無理やり作り上げたシステムなんでしょう。「スウィート10ダイヤモンド」なんてまさにそれですね。皆さんも騙されないようにしましょう!ちなみに60年が「ダイヤモンド婚」らしいのですが、30過ぎに結婚したとしたら夫婦で90過ぎでしょ。お互いボケ散らかしてるわ!!


 振り返れば20年も長いようであっという間でした。ヨメは元々サラリーマン時代の同期で、

「出会い頭に結婚してください!ってこの人に言われたのYo!ホント変態かと思ったわ!超キモかった。。」(ヨメ)

などと、ことあるごとに宴の席で得意気に語りますが、酔った勢いで確かにそう言ったかもしれません。ですがその後はその彫りの深い顔立ちと豊満ないやらしい体付きで、むしろ私を執拗に誘惑していたと記憶しています。研修所の便所で真夜中に立ちバ◯クしたのも良い思い出です。

結婚1、2年目は薄給のサラリーマンで子供も生まれてヨメも働けなくなりましたから、なかなか生活も大変でした。それでも新聞のチラシをチェックして爆乳をおんぶ紐でより強調し、坂道を何往復もしながらママチャリで野菜ごとに別々のスーパーに行くような出来たヨメだったんです。

給料日には月1回の外食。近所の美味しい寿司屋に行って、1人前2500円のセットと子供には納豆巻きとカッパ巻きを頼んで、お酒はビールだと高く付くから「神の河」(麦焼酎)1本頼むのが最高の贅沢でした。確かに裕福ではありませんでしたが、毎日が幸せで心は大金持ちでした。それが20年経った今はどうでしょう。もはやあの時、月1回の最大の贅沢であった「寿司」はもはや特別な食事ではなくなり、カウンターに座った娘は、

「大将!今日のオススメは何ですか?、、じゃあさゆりを2貫、皮は炙って串でください。」

なんてすっかり生意気なガキに育ってしまいました。

「寿司は単品で頼むと高いからセットにしろ!!」なんていう父親の意見は全く聞きません。

「そんな美味いもん食ってて、大学の友達と激安のクルクル寿司とか行ったら『なんだこれ不味い!』ってなるぞ!」(私)なんて言っても、

「それはパパ違うよ。回転寿司は回転寿司の良さがあって、何より友達と食べるから美味しいんだよ。牛丼だって立ち食い蕎麦だって美味しいんだから。パパに連れてってもらう天ぷら蕎麦の店はもちろん美味しいよ。でもね別に親と会話が盛り上がるわけじゃないしね。ジャンルが違うの。ジャンルが。」

なんて生言われ、怒りに震えております。

結婚3年くらいでサラリーマン辞めて歌手になったんですが、私の両親に話しに行く時が一番しんどかったですね。前にも書いたかもしれないんですけど、親父にも

「ラップで飯が食えるのか?」「子供もいるのにアホも大概にしろ!」「お前らの曲なんて学芸会レベルだ(インディーズで既にCDを出していた)なんて言われ、母には、

「りょーさん、何考えてるのせっかくいい会社入ったんだから止めてちょーだい!」なんて言われてね。

でもヨメが「この人が決めたことなんでどうせ聞かないので見守ってやってください。」

なんて両親に言ってくれて、親父は怒りで震えてたけど、アレがなかったらまだサラリーマンやってたのかな。。

会社を辞めた後が大変で、昼はバイトして夜中はレコーディングとかライブとかして、ヨメも子育てでイラついている上に、生活の不安もあるから、

「明日の生活どうすんのよー!!」(ヨメ)

「うるせー!!俺だって頑張ってんだYO!!」(私)

なんて毎日喧嘩が絶えませんでした。もうこの生活を抜け出すには「絶対売れるしかねぇ」って思ってましたからとにかく必死でした。それでどうにかこうにかなんとか売れだして音楽で食えるようになって現在に至りました。今は「確かに売れるのも大変だけど、売れ続けることの方がもっと大変」ということが感じられる次のステージにいます。


まあ振り返ればそんな感じでジェットコースターのような20年でした。夫婦の数だけ夫婦の人生があります。色々あるけど、もう愛っていうより「家族」はチームって感じなんですかね。皆さんのところはどんな感じですか??まあ絵に描いたような幸せそうな家庭だって何かしら悩みはあるでしょうし、そこを皆んなで乗り越えるのが家族なのかな?わからんけど。。

まあそんな感じでまた来週!!!!!