涙でリールが見えない RYO from ケツメイシ

2023.3.28

 去る3月7日、入院中だった最愛の母、輝子が逝ってしまいました。

3週間程経ちましたが、極度のマザコンの私は落ちております。

なんだかまだ実感が無くて、最近やっと「本当に死んじゃったんだ。。」と自宅に飾った母親の写真を見て寂しさを感じてます。

「人はいずれ死ぬ」っていうのは当たり前で理解してるんですけど、勝手に自分の親だけは絶対生き続けると思ってましたから。

病状が急変して「今すぐ来てくれ!」って父上から電話が来た時も、「そんなはずは無い!」って思ってたのに、病院に向かう新幹線の中で「息を引き取った。」って聞いた時は本当に信じられませんでした。

ここ20年位、1.2年に1回会うかどうかで、たまに「あと何回一緒に飯が食えるんだろう?」なんて漠然と考えていたけど、まさか今年の正月が最後になるとは思いませんでした。

コロナとか関係無く、もっと会っておけば良かった。

旅行にも連れて行ってあげたかったし、もっと話したかったし、もっと親孝行したかったな。

23年前、良い歳して、子供も生まれたのにサラリーマン辞めて、歌手になって、

「りょーさん!せっかく良い会社に入ったのに何やってるのよぉ〜。ホントには頼むからバカなことは止めてちょうだい!!」

なんて心配も掛けました。

本当に馬鹿息子だったけど、一昨年「紅白」に出た時は喜んでくれてたし、あれが少しは親孝行になったのかな。

本当に太陽みたいな人でした。

父上の仕事の関係でここ30年は静岡で暮らしてたんですけど、そっちにも友達が大勢いてね。

たまたまジムとかで仲良くなったおばさんと何時間もランチして、お互いの誕生日にはワイン会とかするようになって、しまいには一緒に旅行まで行くようになってましたからね。

火葬の日まで遺体を自宅で安置していたんですけど、そういうおばさんたちがやって来て、

「ウソでしょ輝子さん、、、、」

って言って、遺体見てボロ泣きするんですよ。

普通、50歳過ぎた大人になってからそんな友達って出来ます?なかなか無いですよ。凄い人だよ。。

まだ役所とか色々な手続きで、実家に頻繁に行くんですが、たまたまエレベーターを同じ階で降りたおばさまがいて、たまたま近くの部屋だったから、

「〇〇号室の田中です。先日、母が亡くなりまして、、高齢の父が一人きりになりますんで、いきなりその辺で倒れたりしても困るので少し気に掛けておいて頂けますか?」

なんて話し掛けたら、今月引っ越してきたばかりのご夫婦だったのですが、

「え、田中さんの奥様??年末お会いした時はお元気だったのに。。」

なんて言ってて、なんで知ってんだろって思ったら、昨年から引っ越しの準備でちょこちょこ来ていて、その時に2.3回輝子に会っていたらしく、「マンションの駐車場」とか「ゴミの捨て方」とか、「ここら辺の買い物は、肉はどこそこで魚はどこどこがオススメですよ!」なんて色々教わっていたらしいんです。

「こんな方が近くに住んでるなら安心して引っ越しできるわね、なんて話していたんですよ。」

そんな輝子に関する話を聞くたびにまた泣けてしまう。とんだ愛されキャラだよ。

私もいつまでもしょんぼりしてたら輝子に怒られちゃうからしっかりしないといけないんだけど、父上の憔悴ぶりが半端なくてね。今はそっちの方が心配です。

ヨメに先立たれると途端に男は弱くなるって言いますから。

あれ見て「俺、絶対ヨメより先に逝こう」って決めましたもん。

88歳の父上が今、何の為に生きる希望があるかって考えたら、絶対、輝子がいたからだと思うんです。

一般的に女性の方が寿命も長いし、8個上の父上も当然自分が先に死ぬ想定でした。自分が亡くなった後、輝子に少しでも多く残せるように、マンションを共同名義にしてたり、遺産も輝子に全部行くように遺言書も準備していましたが、それも全部裏目に出てしまいました。

先に逝ってしまうことは全く想定していなかったので、家にある輝子の走り書きのメモとか書類をたどると、父上も知らない銀行に口座があったり、生命保険があったり、父上が先に亡くなって自分が一人になった時の老後を相当心配していたような形跡がありました。

俺がもっと「一人になっても絶対大丈夫。バラ色の老後は俺に任せておいて!」って、ずっと言い続けていれば良かったんだろうな。もう遅いんだけど。。

今になって色々な後悔が出てきます。

この心のモヤモヤがいつ晴れるかは分からないんですが、日常は回っていくし、今年はドームも夏フェスもある。

しょんぼりしてたら「あら、りょーさん、何やってんのよ!」って輝子に怒られちゃうから少しずつあげていきたいと思います。

兄貴と協力して父上のサポートもしないとね。



なんか、激暗なコラムになってすみませんでした。

亡くなった直後の週のコラムは普通に書いたんだけど、なんか違うというか、これを日記というか記録として残せば、なんか自分の気持ちも整理が出来るんじゃないかと思って、今週はあえて激暗でいきましたよ。

なんか「人間の価値」ってやっぱり金とか名声じゃなくて、「どれだけ人の思い出にその人が残ること」なんだなってことを最後に輝子には教えてくれました。

墓も四谷にあるから頻繁に行くよ。俺はマザコンだからね。

輝子さん、80年間お疲れ様でした。本当にありがとう!!

そんなわけでまた来週!!