涙でリールが見えない RYO from ケツメイシ

2022.09.20

 やっとツアーも折り返し、後半戦スタート!

平日の17時開始にも関わらず、沢山のお客さんに集まっていただきました。

先週の木、金曜日は八王子のホールでライブでした。

みんな無職だったのかしら。いや、そんな筈は無い!

皆さん、有給とか半休取ったり、色々都合をつけて集まって頂いたんだと思います。

本当に有難うございました!!



八王子でライブという事は、2時間位掛ければ自宅から行けるんですけど、

八王子って私とリーダー大蔵氏の母校の大学があって、

「久しぶりにあの辺、八(王子)おじさんぽしない?」

なんて前日に前乗りしました。

色々な懐かしポイントを巡って写真を撮れば、ライブ中のMCでスライドショーにも使えますし、

自分の過去と現在の答え合わせも出来るからです。

マネージャー新井くんの運転で八王子方面に向かいますが、やはり遠い。。

大学の1,2年は実家から2時間半掛けて通っていましたが、3年生から一人暮らし。

当時の薬学部は4年制で、3年生から実験が忙しくなり、

「フラスコでグツグツ煮た液体が管を通って冷やされてポタポタ垂れてくるのを4時間待つ」

とか意味不明な実験が増えてきて、物理的に自宅から通うのが難しくなったからです。

まあ、真面目に勉強するわけもなく、1人暮らしの家なんて友達の溜まり場になり、

やがて酒とラップとS〇Xに溺れ、留年が確定するまでの1年半(実家へ強制送還)、

学校はクソつまらなかったですが、生涯を共にする仲間にも恵まれましたし、

あの時期がなければケツメイシが生まれることもありませんでしたし、

そういう意味では青春の貴重な1ページですね。

車が八王子方面に向かうにつれ意外にもテンションも上がります。

「マウスを見に行こう!」

昔、私が初めてマイクを握った小さなクラブ。

後輩として入学してきた大蔵氏も後にライブデビューした思い出の地。。。

「ああ、この階段、この手すり、なつかしぃ~」なんて、地下に潜ってみると、

あれ、、謎のレンタルスペースになってます。

ショック、、、、、

やはり、卒業から25年も経つと色々変わっています。

「じゃあ次、多◯ク◯行ってみよう!」

30年前、私の初めての風俗。

「風俗デビュー&外国人女性への憧れと情熱」を教えてくれた店。

「あー、あった!あった!!」

テンションも上がります。車を降りて店の前でピースで記念撮影。

当時はお城みたいに大きく感じたこの店も、

今見ると凄く小さな建物で「こんなにちっちゃかったっけ?」と、驚きを隠せません。

ホームページを確認すると、今だに当時の源氏名(ジ◯◯キー)と同じ、

外国の方(と思われる)が在籍されています。ちょっと待てよ、あれから30年経つから本人のワケないし、、

「こ、これは、、恐らく、、8代目ジ◯◯キーか!!源氏名も襲名制なのか!歌舞伎かよ!」

などと言いつつ、母校に向けて車を走らせます。

「そう言えば、大蔵ってどこ住んでたっけ?」(私)

「南平です。」(大蔵)

「あーあ、何と無く覚えてる!レンタルビデオ屋でもバイトしてたよね?行ってみようぜ!」(私) 

中央大学の横を抜け、懐かしい山道を越えていきます。

なんだか不思議なことに、昔よく通っていた道が物凄く細く感じます。

我々が大きくなったからでしょうか?

当時は原付バイクで走っていて、車で通ることなんて無かったからなのかもしれません。

まあもちろんレンタルビデオ屋も無く、恐らく大蔵氏が住んでいたと思われるアパートの前あたりにきたら、

新築の建売みたいなのが3軒並んでいます。

「あー、残念。。無いねぇ。大家さん相続で処分したのかな?」(私)

なんて諦めてゆっくり車を走らせて10メートル、、

「おぉ!?コレは、、あ、ああーー!!!コレコレ!!あった!あった!!」(大蔵氏)

大蔵氏が住んでいた家「◯リーンコープ岩◯」ありました!大蔵さんこの日1番のブチ上がりです!

当時住んでいた102号室前でパシャリ。現在の住人の方に迷惑が掛かるのでサッサと退散。



また大学へと走らせます。

「あーあ、覚えてる!覚えてる!」その連続で記憶が蘇ります。

が、当時は工事中だったトンネルが貫通し、スクールバスのバスターミナルが正門前に移動していました。

「懐かしさ70%、変わっちまったな30%」位の丁度いいバランス感。

門番の守衛さんに、

「私共、この学校のOBでありまして、たまたま近くを通って懐かしさのあまり寄ってしまいました。

校内を見学させて頂いても宜しいでしょうか?」(私)

なんてお願いするも、

「現在はコロナ禍でご用件が無い限り、外部の方の訪問はお断りしています。」

という、守衛さんとしては当然の仕事をされて断られてしまいましたが、

「そ、、そうですか。。それはとても残念です。。」(うつむく私)

と言いつつ、大学時代の思い出を熱く語ります。

「毎月2万円貸してくれる学生課のおばさん菊池さん」「だいぶご迷惑を掛けた研究室の山◯教授」

「いつも溜まっていた校庭の芝生」、色々なエピソードを話しているうちに、

「そうですか、、?何分位になります?」(守衛さん)

「30分、いや長くても1時間以内に退散します!」(私)

なんて言ったら入れてくれちゃってね。

守衛さん、本当にありがとうございました!!



中に入ってびっくり。

メンバー大蔵氏と初めて会った校庭、カセットコンロを持ち出して鍋をやっていた芝生、、

もう無くなって新しい建物がそこにはありました。

ライス小、コールスロー、納豆、味噌汁で88円で食えた食堂も改装。

洒落たカフェみたいになっていました。寂しい。。

校内の山を登り部室棟へ、

「あ、変わっていない!!」

部室棟はそのままです。

お揃いのSPEEDOのブーメランの海パンを作って、ビールケース持って屋上で日焼けしていた懐かしの場所。

我々のDJ、ラップ活動メインのESSの部室は、、、

「東薬ポケサー(ポケモンだいすきクラブ)」に変わっていました。

でも扉にフライヤーとか沢山貼ってあるダンスサークルみたいなのがあったから、

アレが我々の後継クラブなのかもしれません。



大学を後にし、夜は当時後輩がバイトしていて溜まり場だった居酒屋「勝ちゃん」へ。

大蔵氏の同期(私は留年しているので最初は皆後輩)たちも4人来てくれました。

翌日、有給を取ってライブも観に来てくれること言うことなのでガッツリ飲みましたよ。

居酒屋の大将も相変わらずで嬉しい。

みんな大学卒業して25年経って、社会人になって全国に散らばっているのに、

「こうやってきてくれたことが本当に嬉しい。。」

なんて言ってくれて、私も嬉しくなりました。

当時の大将は今の我々よりも年下で、それがまだ同じ場所で30年近く店を続けてくれていて、

こうやって集まれたのはホントに最高でしたね!昔話に大輪が咲きました。

「勝ちゃん」を出て、さらに駅周辺の繁華街でハシゴを続け、

夜中2時位になったところでリーダー大蔵氏が、

「明日ライブなんでそろそろ帰ります。」

なんて言うからぶったまげましたよ。

「お前なんで?!!みんなわざわざ休み取って遠くから来てくれてんのに!ホント冷たいヤツだな?

ライブなんて明日の夕方の5時だぞ!タップリ寝れるし、まだ全然飲めるでしょ!!」(私)

「いや、帰ります。。」(大蔵氏)

って本当にホテルに帰ってしまいました。本当に冷たいと言うか真面目な男です(笑)。

コレってどっちが正しいと思います??

「仕事を取る」か「久しぶりに集まってくれた仲間を取る」のか。

少なくとも私は仕事を選ぶことはありません。そんな薄情な人間にはなりたくありません(笑)

いや、仕事は仕事で頑張ってやって、朝まで飲んだらもしかしたら面白エピソードが生まれて、

ライブのMCでも使えたりするじゃないですか?だから、だから私は両方を取ります!!

「プロ意識がない」って言われたらそれまでですけど、私はそう言う人間だから仕方ありません!



なんて色々書いてたら終わらなくなってしまいそうなのでもうヤメておきます。

とにかく楽しい夜でした!

翌日のライブも、大学の友達は我々が遊びでライブしてた当時しか知らないし、

ケツメイシなんて興味ないから初めて観たヤツもいて、それでも楽しんでくれたみたいで良かった。

また何年か経ったら飲みたい。やっぱりワインも記憶も熟成させると良いですね。

次は、狭いホールから会場がアリーナに戻ります。

福岡へゴー!!

ではまた!!!