涙でリールが見えない RYO from ケツメイシ

2018.12.04

 土曜日はいつもツアーなどでPAエンジニアをやってもらってる達也の結婚式でした。昔はペーペーだったコイツもすっかり中堅どころとなり、最近ではツマミの沢山付いたデカいミキサー卓をイヤらしい手付きで弄ってステージ側の音周りをやったりと重要な仕事を任されるようになりました。ライブなどでリハーサルを終えると、

「どうですか?りょーさん?!」

と「音圧がどうのこうの」とか「出音がどうのこうの」とか「イヤーモニターはどうですか?」などと色々聞きに来てくれるのですが、

「、、、、、、、うーん、分からん。。全く分からん!!まあ一つ問題があるとすれば、お前のその自信無さ気な表情だな(笑)!!オメーが良ければ良いんだ。自信を持て!!」

と、全く的外れな回答をしてしまう私にも根気よく付き合ってくれてます。ペーペーの頃から人懐っこい性格で「りょーさん、飲みに連れてってください!」なんてまとわり付いてきてね。

その結婚することになる彼女が出来た時も「りょーさんに紹介します。」なんて言われて3人で「鉄板焼き」食いに行ったっけ。若いのにちゃんとした結婚式場で挙式を上げてホント立派だわ。私なんかお金無い時に結婚したからスゲーボロいところで式あげて二次会なんかその辺のカラオケボックスでしたから。ケツメイシメンバーの大蔵も来てくれたけど、ご祝儀が3人の連名で2万しか入ってなくて、皆貧乏だから飛行機代も出さなきゃいけなかったから友達も4人しか呼べませんでした。そう考えると達也もまだ20代のあの若さでホント大したもんだわ。温かい良い式でした。ヨメさんを幸せにするんだよ!乾杯の御発声で私がダダ滑りしたのはショナイです。また改めてお祝いでもしてあげよう。

 その結婚式が始まったのが午後3時、帰宅したのが翌日の午前4時前(と思われる)。どうやって帰ってきたのか、後半どこに寄ったのかも全く覚えていないんです。結構飲む方なんですが、ここまで記憶がなくなるというのは初めてです。久しぶりにツアースタッフの鳶さんにも会い、盛り上がって式場近くの天王町の立ち飲み屋、フィリピンパブへ行き、そのままタクシーで多摩川を超え地元蒲田方面に向かったところまでは記憶があるのですが、それ以降の記憶が断片的なんです。一緒に参列した後輩の大志に、

「爆酔いで記憶が断片的なんだけど、俺のパワハラとか無かった?」(私)

なんて翌日メールしても、

「りょーさん、自分もボロ良いで記憶がございません!でも自分はパワハラ求めてる世代なのであったほうが嬉しいです♪」(大志)

「そうか、、つけ麺大王の領収書があるんだけど、そんなの行ったっけ?」(私)

「あ〜なんとなく、、覚えてはいないんですが、寝起きにニンニクの臭いがしたので〆の餃子とビールはやったのかもしれません。。」(大志)

昼過ぎに目覚めると、久しぶりに実家に帰ってきた長女に、

「パパの明け方のマーライオンやばかったよ。あの断末魔の叫びで目が覚めたよ。」

なんて言われてしまいました。

マジかYO!全然覚えてねーぜ!!

 それにしても何故人間はボロクソに酔っ払っても、無事家に帰って暖かいお布団で眠ることができるのでしょうか?近所のおじさんはボロクソに酔って家の玄関まではたどり着いたものの、鍵を持つ手が震え、もう一方の手で押さえ何度もトライしましたが結局鍵穴に鍵が入らず、そのまま力尽きて玄関前で寝て、新聞配達の若者に通報されたという逸話をお持ちですが、やはり家までは辿り着いているんです。なんとも不思議!!

なぜかと思って調べたら、すべての情報はまず短期記憶として保存され、必要な情報だけが取捨選択され長期記憶になるらしいんです。短期記憶を司る「前頭前野」は酒にヤラれやすく、「あのコンビニを左、二個目の信号を右、ちょっと行った左側が家」という固定された「長期記憶」は酒の影響を受け辛いので、「家まではたどり着けるんですが、その道中の短期の記憶は無い」というのが仕組みらしいです。なるほどね!要するにそこまで飲んじゃダメってことですね。コワイわ!!!

ホントに気を付けよう。短期記憶が無い時に素っ裸で街中歩いたらタイホですからね。今ならたぶん新聞に載りますし。子供が泣くわ。あれ以来、2日経った今も肝臓がシクシク痛みます。これから忘年会シーズン。私もあと6回あります。皆さんも飲み過ぎには気をつけて下さい!!

それではまた来週!!!